伝習録 「陽明学」の神髄

違うからこそ同じである
 
幕末から日本のリーダーたちに、勇気と大義を与え続けてきた陽明学の名著「伝習録
 
知行合一」という言葉を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?
これは陽明学の有名な教えなのです。
(ちなみに「ちこうごういつ」と読みます)
 
ある日、門人が聞きました。
「 先生、物事の本質が同じなら、
  どうして偉人と呼ばれている人たちは、違った表現をするのでしょう?」
 
先生は答えました。
「 本質がわかったなら、それを自分の言葉で言うからだよ。
  自分で言うから、独自の表現になるんだ。
  庭園の竹を見てごらんなさい。
  枝があり、節があるというのは、竹ならみんな同じだ。
  でも、一本たりとて性格に同一のものはない。
  “竹”という本質は同じ。でも表面は全部違う。これが自然の法則なんだ。」
 
「本質」がある。
それを「どう捉えるか」は人によって違う。
さらに「どんな言葉を選ぶか」は状況や相手によって違う。
 
本質は同じなのに、表面に出るものはたくさん違うのです。
 
私たちは、そうした様々な表面にでてきた言葉をたくさん学ぶことで、
共通する本質へとたどり着くことができるのです。
 
【 要するに 】
本質は同じ。
でも捉え方はひとそれぞれでいい。
当然ながら、表現はひとりひとり違っていい。
 
自分の捉え方をもっと信じよう。
誰かの言葉だけが本当ではないのです。
 
【 奥義 】
あなたがどう捉えたのか。
それがあなたの独自性。